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東北の山遊び(雑記帳)

日々感じた事を気の向くままに書いていきます。添付写真とは無関係な内容も多いです。

DVD鑑賞 『聖職の碑』

楽天の期間限定ポイントが2000ポイントあり、その有効期限が近づいていたため、予てから観たかったDVDをネット通販で購入しました。

それが新田次郎原作の映画『聖職の碑』です。

2019071301.jpg

この作品は劇場で鑑賞した記憶はなく、かなり昔にテレビで一度見たきりでした。
ツタヤやゲオなどではレンタルは一切されておらず、また鑑賞したいと思いながらも果たせなかった作品なんです。
封切り時の興行成績が非常に悪かったらしく、権利問題も絡んで、一度DVDで発売されてから再発されないようです。
画質は4:3のアスペクト比の上下をカットしている仕様のため、かなり悪い印象でした。

そんな訳で予告編はネットでアップされていません。

あらすじ
 大正時代、中箕輪高等小学校では白樺派教員とそれに反対する教員、郡の視学との対立が始まりつつあった。このような中、校長の赤羽長重は毅然とした態度で教師たちをまとめていた。
 大正2年8月26日、赤羽は、実践主義的教育の一貫として、生徒25名、地元の青年会員9名、引率教師3名(校長、他2名)の総勢37名で木曽駒ヶ岳登山に出発した。登山計画は綿密に練られ、前年までの経験を基にした詳細な計画書が全員に配布され、また、地元の飯田測候所にも最新の気象状況を照会するなど、当時考えられる対策は全て取られていた。
 一行は、生憎の曇り空であったが、予定通りの山行を決行した。しかし稜線に出る頃に暴風雨になり、何とか伊那小屋にたどり着くことができた。この時、小笠原海上で発達した台風が猛烈なスピードで、東日本を通過していたのである。この天候の急変は当時の観測技術では判明できなかった。しかも、頼みの綱の小屋は半壊状態であった上に、心無い登山者の失火によって石垣のみの無残な姿に変わっていた。赤羽は、周辺のハイマツ等を手分けしてかき集め、全員の雨合羽(合羽ではなく映画では身体に巻きつけるゴザ)も利用して仮小屋を設営し、ビバークを試みた。
 しかし、粗末な雨対策による漏水のため、火を焚くことができず、体力を失っていた生徒が疲労凍死(低体温症)するに及んで一行はパニックに陥った。青年会員の若者が、赤羽ら引率教師の指示に従わず、屋根代わりの雨合羽を剥がし、散り散りになって無謀な下山を開始した。残った雨合羽とハイマツは強風で吹き飛び、仮小屋は風雨にさらされたため、生徒たちも我先に暴風吹き荒れる稜線の死地から逃れようと下山を始めた。赤羽ら教師は、体力のない生徒や、雨合羽を吹き飛ばされて装備の十分でない生徒をかばいながら、やむなく下山の途に出ざるを得ない危地に陥った。
 結果的に、樹林帯まで下りきった者は生存し、稜線上で力尽きた者の多くが生命を落とした。その中には、生徒に防寒シャツを与えて救おうとした赤羽校長の姿もあり、総計11名の尊い命が失われる大遭難事故となってしまったのである。生き残った教師や赤羽の妻・つぎは、事故の後、遺族からの罵声や連日の投石に耐える日々が続いた。
 駒ケ岳登山の計画を知った当初は、「鍛錬主義につながる暴挙」と強く反対していた有賀喜一(中箕輪高等小学校主任訓導)は、自らを犠牲にして弱った子供にシャツを与えて救おうとした赤羽の行動に理想主義・鍛錬主義の垣根を越えたヒューマニズムを感じ、病身を押して、教師と生徒の心の触れ合いを忘れまいと記念碑の建立に奔走し、完成直後に亡くなる。
 上伊那郡教育会は、将棊頭山の山頂直下にある遭難現場に「遭難記念碑」を設置し、「記念」の言葉の中に、決して事故のことを忘れ得ないようにという思いを込めた。


何とも悲しい気持ちになる物語でした。
当時の気象予報は気象庁に勤務経験のある新田次郎氏の言によると、このような台風が急速に接近することなど分からなかったそうです。しかも今では考えられない貧弱な装備。ゴザを雨具替りにしても、短時間しか雨避けの効果は得られないでしょうし、失火によって小屋が石垣を除いて骨組みだけになっているなんて、この時現地にいたなら絶望的な気持ちになっていたと思います。
地図で当時の登山コースを確認してみると、子供の足では学校を出て夕方小屋に辿り着くのがやっとの標高差と距離です。
現在の学校登山において、そこまでハードな道のりを歩かせる事はないと思いますが、鍛錬主義が教育の基本だった当時は当たり前の行事だったのでしょう。

これと同様の遭難事件が1918(大正7)年に蔵王の熊野岳で起こっています。
10月23日、宮城県立第二中学校(今の第二高校)の生徒150名が、遠刈田温泉を出発し、高湯温泉(現在の蔵王温泉)まで横断する集団登山を行いました。
ろくに案内人もつけず、風雨をおして刈田岳山頂に立ち、そのまま熊野岳を越えて高湯温泉に午後3時ごろ下ったそうですが、遅れた生徒には2名の教師が付き添っていて、本隊と行動を別にしたようです。
その後、猛烈な風雪となり、遅れた9名は下山してきません。
翌日から捜索隊を組織して救助に当たりましたが、現在、熊野岳避難小屋のすぐ西側にある御室で、凍死した5名を発見、他の4名も200mほど離れた場所に遺体となって4日後に発見されたそうです。

蔵王の遭難のケースは秋が深まった時期は積雪があると言う高山の気象条件を無視した結果でしょうが、木曽駒ヶ岳の遭難はいろいろ不可抗力が重なって最悪の結果になってしまったと思います。

校長役の鶴田浩二、有賀喜一訓導役の北大路欣也、駒ケ岳登山では赤羽と対立し、辞表をたたきつけようとするが、子供たちにほだされて思いとどまった清水政治訓導役の三浦友和など、名優の演技も秀逸で、見応えのある映画と感じました。

但し、同じ森谷司郎が監督をした『八甲田山』の決死の雪山ロケに比べると、映像の迫力の点ではイマイチと思いました。


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  1. 2019/07/13(土) 23:08:17|
  2. 映画
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:2
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コメント

SONEさんこんにちは

遭難慰霊碑ではなく記念碑としたのも、戒めとして後世に伝えようと新田次郎が尽力したと聞いてます。
ケーブルテレビで一度観たのですがゾンビメークがトラウマになってそれ以来再試聴は封印してました。
2014年にケーブル利用で木曽駒に上りました。これほど悲惨な遭難事故があったにもかかわらず未だに学校登山が中止にならずに続いてるのには驚きですね。
山に囲まれた長野県民の山を敬愛する気持ちが伝わってきますね。
アマゾンでこの本を注文しました。
緻密な描写の新田次郎文学を活字で味わってみます。
名作のご紹介ありがとうございます。



  1. 2019/07/14(日) 17:44:33 |
  2. URL |
  3. タビ #Cnub/O7I
  4. [ 編集 ]

タビさん今晩は。
あらためて映画を見ると、記憶以上に重厚感ある作品でした。
あのメイクはやりすぎですよね(笑)
教育熱心な長野県民にとって学校登山は欠かせないものだと感じています。
本の方が白樺派との確執や、遭難事後の詳しい記述がなされていて、私も再読したら映画の良さがより伝わりました。
  1. 2019/07/14(日) 19:47:24 |
  2. URL |
  3. SONE #QVCxQ8ys
  4. [ 編集 ]

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