東日本大震災の日から今日で5年経ちます。突然襲ってきた大地震と、明かりが消えて真っ暗な夜に度重なる余震に怯えた悪夢のような日でした。
TVが見られないので、地震や災害情報が一切分からず、夜に車のカーナビのTVを見て、沿岸部に大津波が来襲し、多くのご遺体が打ち上げられていると言う報道に心が凍り付きました。
その日から食料やガソリン供給がひっ迫し、自転車で販売している店舗を探して食料調達する日々が続きました。
ガソリンを給油するのは至難の業で、結局山形県への供給ラインが復活したのを確認して、東根市まで買いに行きました。
ライフラインの中でも都市ガスの供給が一番遅れ、私の住む地域でそれが復活したのは震災から1ヶ月後のことです。
そして5年の歳月が流れました。
私的には両親が他界した点が一番大きな変化です。
津波で甚大な被害を被った太平洋沿岸地域に関しては、瓦礫は撤去されましたが、現在は見上げるほどの堤防建設と、商業地のかさ上げ工事が盛んに行われています。
災害公営住宅は建設中のものが多く、未だに仮設住宅住まいを強いられている方々が多いです。
この先、沿岸部の方々が平穏な生活を取り戻せるまで後何年かかるのでしょうか?
おそらく10年は見なければならないでしょう。
その間に過疎化が更に進む懸念もあり、このまま現在の市町村の行政的な区割りが永続するとは思えないんですが・・・
写真は保呂羽山に行った時に撮影した
志津川湾です。

私は宮城県に住んでいるので、復興の現状をこの目で見ていますが、まだ復興途上である事を首都圏の方々は全く認識していないそうです。
いつ起きてもおかしくない状況と言われる首都直下型地震や南海トラフ地震への準備を、改めて考えてみる機会になればいいと考えています。
5年前は地震の後で雪が降ってくる寒い日でした。
しかし、今年は暖冬の影響で庭には
セリバオウレンの花が咲いていましたよ。


例年は4月になると咲き始める
オトメツバキもどんどん開花しています。
紅梅はもう花が痛み始めてきました。
仙台市では現在、梅が見ごろのようです。

被災地にとっては震災は決して過去の事ではなく、今現在も苦悩している方が沢山いる事実を忘れないようにしましょう。
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- 2016/03/11(金) 18:23:41|
- 日記
-
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| コメント:4
もう5年が経つのですねぇ。
当地は2日間の停電だけで大した被害は無かったのですが、今でも、あの日の映像や被災地の様子をみると心の奥底からこみ上げて涙が出てしまいます。
そして、あの日以来吊り橋の揺れさえも怖く、みんなが渡った後にそ~っとしか渡れなくなってしまいました。
大したことはできないですが、3月11日を忘れずに生きていきます。
- 2016/03/11(金) 21:14:14 |
- URL |
- 修 #B2bgHvfw
- [ 編集 ]
修さん今晩は。
時が経つのは早いですね。
あの日のことは今でも鮮明に覚えています。
仙台では電気の復旧は早かったですが、水は約6日後、ガスは1ヶ月かかりました。
最近は携帯の地震速報が鳴らないですが、しばらくは鳴ると身構えてしまう状態でしたよ。
福島の事を考えると、完全にこの災害から復興するのは、長い時間と天文学的な額のお金が必要になるでしょうね。
- 2016/03/11(金) 22:18:22 |
- URL |
- SONE #QVCxQ8ys
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5年前の今頃は一睡もせず朝を迎えた。深夜、コンビナートが爆発炎上し対処できずただ見上げるだけ、この世の終わりかとも思った。夜明けとともに当地区に長野県部隊が駆けつけてきたときには涙が溢れんばかりに…。家に帰ったのは10日後だっただろうか。ローソクの明かりで食べた夕食、水が出た時、電気が点いた時、風呂に入れた時は文化生活の有り難さを痛感しました。
- 2016/03/12(土) 05:22:06 |
- URL |
- maro7 #PR6.u/TU
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マロ7さん今晩は。
確かに地震の夜は家は滅茶苦茶ですし、余震も頻発していましたので眠れなかったですね。
御地では近くでコンビナートの火災が発生していたので尚更のことだったと思います。
しかしお仕事の関係で10日も帰宅できなかったのは心配だったでしょうね。
こちらはガスの復旧が大幅に遅れたので、電気調理器しか使えなくて不便を強いられました。
- 2016/03/12(土) 22:43:13 |
- URL |
- SONE #QVCxQ8ys
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